参院選から考える社会の構成員としての私たち
選挙区違うし、政治には疎いからあれだけど、
街頭を熱狂させてた人でも当選しないあたりから、平安なご時世において犬養毅みたいなミラクルは起こしづらいらしい。良くも悪くも、豊かさに慣れた私たちは安定や安泰を求めて、大きな変化を嫌う。
その癖、世の中に対して要望は大きかったり。有権者になったいま、政治への当事者意識を自問してみました。
選挙については色々思うところがありますね。若者がどのくらい投票したのか、とか。18歳〜有権者になった今回、新規に加わった18〜20歳の層は、けっこう候補人も照射していたんじゃないかと思います。
一票にどのくらいの価値があるかは測れなくても、所属する社会への責任は頭数で当分のはず。
その上で、社会に対して理想を掲げるとかちょっとハードルが高いけれど、
要望を伝えることと、そのために払うべきリスクには文句を言わないくらいは、スタンダードであってほしいです。
要望を伝える手段が、投票って形になっていて、候補人を通じて反映されるのがいまの仕組みであるのだから。
その要望が不平や不満として溜まっていくことは、稀ではないです。でも、不平を抱える人のうちどのくらいが、投票したのか。
もし与えられている機会を放棄しているのに、社会に文句を言っているなら、もったいないし馬鹿みたい。
あんまり批判的になるのは好きじゃないけど、意思を持たない層がボリュームゾーンになっているというか、自他共にマジョリティと思っている現状にはなんだかなあ、って感じです。
経営コンサルタントの新 将命さんの本で、ビジネスパーソンの5種類の話を思い出しました。
消化型(人の火を消してまわる)
不燃型
可燃型
自燃型
着火型(周りの人の心に火をつける)
要は、下にいくにつれて能動的になっていく訳ですが、作用されず作用しない中間の3種族、見え方は違えど、影響力だけだと同じなんですよね。
せめて自分の関心のフィールドでは、いてもいなくても変わらないマジョリティではなく、影響や価値を与えられる着火型になっていたいです。
突然ブログ始めましたが、よろしくお願いしますー
以上、
先っちょでした!